旅のおわりに、もうひとくちだけ大阪を味わいたくなる夜がある。観光地ではなく、暮らしの延長にあるような場所。
布施の「浪花昆布」は、そんな空気を纏った昆布佃煮の専門店。控えめで、まっすぐで、どこか懐かしい。その味と佇まいには、大阪の台所を支えてきた静かな文化が息づいていた。
静かな確信が、佇んでいた
「うちはやっぱり、志めじ時雨やね」
そう言って差し出されたパックから、しめじと昆布の控えめな香りが立ちのぼる。
布施駅から歩いてすぐ、本町フラワーロードのアーケード沿いにある「浪花昆布」。
見逃してしまいそうな外観だけれど、足を止めた人の表情には、なぜか懐かしさがにじむ。日々の台所にすっとなじむ味と佇まい。観光とはちがう、大阪のもうひとつの顔がある。
昆布が文化になった町
大阪は昆布の“産地”ではないけれど、“旨みの町”ではある。
江戸時代、北前船が北海道から運んだ昆布が台所に届き、やがて佃煮や出汁の文化が育まれた。
とろろ、おぼろ、削り、そして佃煮。
一枚の昆布が、台所のなかでいくつもの姿に変わる。
「浪花昆布」の棚には、そんな日常の積み重ねが詰まっている。
“選ぶ”ことが、味になる
「自分では炊いてへんけど、選ぶ目には自信あるよ」
店主はそう言って笑う。
塩梅、風味、食感——それぞれの“持ち味”を見極めた上で、“いいとこどり”のセレクトをしている。
仕入れ先は、長年信頼している加工店ばかり。自家製ではなくても、味にはこの店ならではの筋が通っている。
量り売りやパック詰めの佃煮は、注文ごとに丁寧に空気を抜き、紙袋へと包まれていく。
作業の一つひとつに、気負いのない職人の所作がにじんでいた。
半世紀を超えて、変わらぬまなざし
店主が大阪に出てきたのは、中学を卒業した昭和37年。
最初に働いたのは、布施・公設市場にあった昆布屋だった。
義兄の店を手伝うようになり、それがいつしか自分の店になった。
この場所で、昆布を見つめ続けて、もう50年以上。
目立たないけれど、なくてはならない——そんな店が、ここにはある。
志めじ時雨が、名刺がわり
志めじの歯ごたえと、昆布のうまみ。
「志めじ時雨」は、ごはんにも酒にも合う、店の看板商品。
甘辛すぎず、出汁の芯がちゃんと残る。
食べ終えたあと、ふっと静かになるような余韻がある。
佃煮だけど、どこか詩的で、少し強くて、優しい味。
贈りものは、顔が浮かぶ味
年末が近づくと、店内には贈答の注文がずらりと並ぶ。
「この人は志めじ多めに」「椎茸昆布も忘れんといて」「ちりめんじゃこは、あの家の子が好きやねん」
送り主も受け取り手も、店主の記憶にちゃんと刻まれている。
“お歳暮”という言葉が、まだ暮らしの中で生きている。
その空気ごと、包んでくれるのが、この店の強さかもしれない。
香りとともに、旅が戻ってくる
紙袋を開けた瞬間、ふっと立ちのぼる昆布の香り。
その匂いにまじって、大阪のざわめきや布施のアーケードの風景がよみがえる。
「浪花昆布」の味は、旅の記憶をそっと日常につなぎとめてくれる。
観光地のお土産じゃなく、暮らしの中でふとあらわれる“大阪の余韻”。
そんなひとくちを、ぜひ。