駅から歩いて7分。布施のブランドーリ3番街、その真ん中に「大衆酒場大丸屋」はある。
派手さはない。でも、不思議と吸い寄せられる。暖簾をくぐったその奥にあるのは、大声ではない笑い声と、目立たないけれど確かなまなざし。グラスの泡、焼けた脂の匂い、ちょっとだけ開いた人と人との距離。乾いた心が、そっと潤う。そんな風景が、今日も静かに息づいている。
のれんが揺れる、午後5時半すぎ
あの店、何時から開いてたっけ。誰かがそう呟いたころには、すでにもう空が藍に染まりはじめていた。
ブランドーリ3番街の端っこ、「もうそろそろやろ」と言い合いながら、足が勝手に向かう。
のれんが静かに上がる、その一瞬の吸引力。気づけば18時には満席になっている。予約じゃない、待ち合わせでもない。それがこの町の、大丸屋のリズム。
手書きのメニューに、今日の空気が宿る
壁際に並ぶホワイトボード。そこには、びっしりと書き込まれた100以上のメニュー。決して目立つ字じゃないけれど、目が自然と追ってしまう。
「うずら串カツ」「赤ウインナー」「ほうれん草のおひたし」──名前を見ただけで、子どもの頃の夕飯や、母の台所、台風の日に食べたお弁当の記憶がよみがえる。
名物なんて、あってもなくてもいい。むしろ、「いつもこれがある」ことのほうが、大事なのかもしれない。
見つからないと、ちょっと不安になる。けれど、また今度来たときにあればそれでいい。
そんな風に思える空気がある。
乾杯のあと、沈黙が心地いい
「アサヒスーパードライ、樽生あります」
壁に貼られたその一文に、少しホッとする。ジョッキに口をつけると、炭酸の刺激より先に、心がゆるむ感じがする。
料理が来ても、すぐに手をつけるわけでもない。ただ、誰かが一口食べて「……うん」と小さくうなずく。その沈黙が、心地いい。
豚足の香ばしさが、隣の席の笑い声を引き寄せてくる。無理に盛り上がらなくても、ここではそれがちょうどいい。
やわらぐのは、きっと、さりげなさ。
「ここ、顔見えるとこ空きましたよ」
そんな一言が、ごく自然に交わされる。常連も一見さんも、大げさに絡まない。でも、誰かが誰かに、そっと目を配っている。
酒棚には「白州」や「響」。特別じゃない。あると嬉しいものが、あるべき場所にあるという安心感。
テレビでは野球中継。誰も真剣には観ていないけど、歓声が店内にちょうどいいリズムを与えてくれる。会話と会話の間を、やわらかく埋めてくれる。
場所が変わっても、変わらなかったもの
もともとは駅前にあったという大丸屋。今の場所に移っても、空気はそのままだった。
カウンターの上、小さなトレーにまとめられた調味料たち。S&Bの一味、キッコーマンの醤油、透明な塩の容器。どれも見慣れたものばかり。
でも、なぜかちゃんと“ここにしかない”感じがする。
壁の染みすら、積み重ねた時間の証しみたいに見えてくる。
なにも起こらない日を、そっと祝福する
この町で、この店で、なにか特別なことが起きるわけじゃない。
でも、「今日もええ日やったな」と思える夜が、たしかにある。派手な看板もない。だけど、確かな灯りがある。
「大衆酒場大丸屋」は、今日も布施の空気をまといながら、静かにのれんを揺らしている。