布施駅から、少しだけ寄り道。ネオンの余韻が残る飲み屋街を抜け、アーケードの下を歩くと、ふわっと出汁の匂いが鼻をくすぐる。
屋号は「屋島」。
カウンターだけの小さなうどん屋には、湯気と笑い声、それから、家族の時間が静かに流れている。
コシでも、もっちりでもない。ふんわりとやわらかく、ほどけるようなうどん。
それはたぶん、記憶の味。食べるたび、身体の奥のほうが、やさしくほどけていく。
湯気の向こうに続く、家族の記憶
「屋島」が最初に暖簾を掲げたのは、1951年。大阪・生野区にて。
そこから30年近くたった1980年、布施に2号店を開いたが、時代の波のなかで閉店となる。
それでも、その味は家族のなかで脈々と息づいていた。
「小さいころ、毎日うどんを食べてました。気がつけば、自分で打ってました」
そう笑うのは、今の店主・英司さん。父の代の味と記憶を継ぎ、もう一度、暖簾を掲げた。
カウンター10席だけの小さな店内。壁にはお孫さんの絵や写真。家の延長みたいなあたたかさが、ふとした瞬間に心をほどく。
「大きくしなくていいんです。家族でできる範囲で、ていねいに」
その言葉どおり、湯気の中には、無理のない暮らしのリズムが流れている。
やさしい辛さ、うちのカレーうどん
看板メニューは「カレーうどん」。
鰹の出汁に、スパイスがふわり。3種のスパイスを調合したルウは、辛さより香りが立ち、まあるい後味が残る。
ごはんに卵をのせて、カレーをかける。
誰に教わったわけでもないのに、自然と手が動く。
「こうやって食べてたなあ」と思い出すような味は、もう立派な“うちの味”だ。
サクッとじゅわっと、とり天日和
もうひとつの名物が「とり天」。
カラリと揚がった衣に箸を入れると、じゅわっと肉汁がこぼれる。
揚げるのは女将さん。リズムよく手を動かしながら、厨房で立ち働く姿は、この店のもうひとつの風景だ。
ぶっかけうどんにのせれば、それだけで特別な昼ごはん。
ほんのちょっとのご褒美って、こういうことかもしれない。
家でも食べられる、屋島の麺
自家製麺のうどんは、細めでつるっと。
冷水で締めたときの「シャッ」という音も、もうひとつのごちそう。
この麺、実は持ち帰りもできる。
店頭に並ぶ持ち帰り用セットは、包装までどこかやさしくて、手みやげにしたくなるたたずまい。
「今日のうどん、うちでも食べたいな」そんな気持ちが、ちゃんと叶うのがうれしい。
ふりかけで迷う時間も、たのしい
ランチセットの白ごはんには、卓上のふりかけがついてくる。
しかも、種類はけっこう豊富。ゆかり、のりたま、鮭……どれにしようか、本気で悩む。
結局、何種類か試して、最後は「いつもの味」に落ち着く。
そういう、何でもない時間が、あとからじんわり沁みてくる。
生活音のBGM
店内には、有線のラジオが流れている。
パーソナリティの声にかぶさるように、天ぷらを揚げる音。湯がかれるうどんの音。
どれも、ここに流れる“生活の音楽”。
「できることだけを、ていねいにやっていくだけです」
英司さんのその言葉が、店を出てもずっと残っていた。
「また来よう」と思える店
特別じゃない。でも、なんだかまた来たくなる。
それはきっと、うどんの味だけじゃない。店の空気、ふたりのやりとり、湯気の向こうにある静かなぬくもり。
屋島のうどんは、今日も静かに、あたたかく、布施のまちで湯気を立てている。