アーケードの喧騒から、ほんの一歩だけ外れた東一条通り。
路地の奥で見つけた「珈琲専科トトロ」は、まるで布施の朝の秘密基地。
下は「喫茶・軽食トトロ」、上は「珈琲専科トトロ」。
名前が二つあるこの喫茶店には、チェーンでは出せない、やわらかな暮らしの気配が漂っていました。
モーニングの卵、湯気とともに漂うコーヒーの香り、気さくなママの一言。
ここで過ごす時間は、急がない朝の手ざわりを、もう一度思い出させてくれます。
朝の喫茶店に、灯る声
「おひとり? カウンター、どうぞ」 まだ身体が目覚めきらない朝の時間に、そんな声で迎えられると、ふっと緊張がほどける。
カウンターには新聞をめくる常連の男性。テーブル席では、ご婦人たちがサンドウィッチを半分こ。会話は多くないけれど、空気に馴染んでいる。
トーストの香ばしい匂い、こぼれる湯気、やわらかい光。それらがゆっくりと体の芯にしみ込んでくる感じがする。
焦げ茶のソファ、使い込まれて馴染んだ黒いテーブル。壁際の花瓶や古い雑誌、そしてカウンター奥の棚にぎっしりと並ぶカップたち。どれも少しずつ時間に磨かれて、ちょうどいい“くたびれ感”。10畳ほどの店内には、飾らない生活の美しさがそのまま息づいている。
「布施一の味」かもしれない
「布施で一番の珈琲が飲めるお店」
入り口にそう書かれた小さな看板。たぶん、誰かが言ったのをそのまま掲げたのだろう。根拠なんてなくてもいい。
注文を受けてから、丁寧に一杯ずつドリップするママの姿。銀のポットから、トロリトロリと注がれるお湯の音。漂ってくる香りと、その動きに、つい見とれてしまう。
味の優劣なんかじゃなくて。“ちゃんと丁寧に向き合ってもらえる”という、気持ちの部分での満足。ここで飲む一杯は、どこか“心をほどくお守り”みたいな存在だった。
モーニングは、やさしい生活の縮図
この日のモーニングは、たまごサンドとフルーツ、半熟のゆで卵。「今日はこれね」と笑って渡されるトレイには、過不足のない朝が詰まっていた。
毎日メニューは少しずつ違う。サンドウィッチ、ホットサンド、ハムトースト、フレンチトースト……。曜日ごとの“いつもの味”を、楽しみにしている人がいる。
「一人やと材料が余るでしょ?」そんな理由が、ちゃんと町のリズムに馴染んでいる。
常連さんたちは、それを楽しみに通ってくる。“食べる”こと以上に、“今日も変わらずそこにある”ことが、きっと嬉しいのだ。
会話、栄養、安心感。この店のモーニングには、暮らしに必要なものが、さりげなくそろっていた。
「毎日、開けてるんですか?」
モーニングのメニューがずらっと曜日ごとに書かれたボード。月火水木金土日。あれ、定休日がない。
「たまに2〜3回休むけど、基本はね。締めちゃうと、“今日行くとこないやん”って言われるのよ」
ママが、笑いながらそう言った。
それは、ちょっと泣きたくなるくらいあたたかい言葉だった。誰かの「居場所」になることの責任を、軽やかに受け止めている。
「お店を開ける」ということが、このまちにとって、どれだけ意味のあることなのか。ママはきっと、それを肌で知っている。
昼は、懐かしい味に会える
ゆっくりと朝が終わり、やがてお昼のにおいが漂い始める。今日はオムライスの気分。厨房からは、パチパチと油の音が聞こえる。
運ばれてきたのは、少し破れた薄焼き卵がのった、どこか懐かしい一皿。ご飯は冷凍かもしれない。卵も形は不揃い。でも、それがいい。むしろ、そうであってほしいと思うくらい。
カレーライス、スパゲティ、サンドウィッチ──派手な料理ではないけれど、「帰ってきた」と思わせてくれる味ばかり。まるで田舎のおばあちゃんの家にいるみたいな、そんな安心感がここにはある。
フレンチトーストに会いにいく朝
メニュー表から、明日は大好物の「フレンチトースト」であることに気づく。はやる気持ちを抑えて「11時でも間に合いますか?」と尋ねると、
「少し遅れても作ってあげるよ」と微笑むママ。
その一言が、なんだかすごく嬉しくて、心がふっと軽くなる。ほんの小さな気づかいが、その日一日の表情を変えてしまうことってある。
だから私は、「明日は早起きしよう」と思えた。こんなふうに思わせてくれる喫茶店は、そう多くない。
一杯に込められた、見守るような優しさ
「布施で一番の珈琲が飲めるお店」
その言葉の奥には、競争心ではなく、“ここがあれば大丈夫”という、町との静かな約束がある気がする。
きっとこの店は、今日も誰かの日常をやさしく受け止めている。香りと温度と、さりげない会話で、焦る気持ちをほどいてくれている。
珈琲の香りに包まれながら、ただ気持ちがやわらいでいく。そんな時間が、この店にはある。