布施の町に、スペイン国旗が揺れている。スペイン料理店「PasePase」は、カウンター9席とテーブルひとつだけの小さな店。厨房に立つ店主・えりさんがつくるのは、旅先の名物料理ではなく、家庭のぬくもりを思わせる“ふだん着のスペインごはん”。狐のみみの姿は少し不思議。でも、この町に自然と溶け込んでいる。
住所 | 大阪府東大阪市長堂1-20-5GoogleMap |
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電話番号 | 06-6782-2702 |
営業時間 | 12:00~15:00、17:00~22:00 |
定休日 | 木曜日 |
喫煙可否 | 禁煙 |
商店街の裏通りで、少しだけスペイン
布施駅北に続くブランドーリ4番街。商店街の喧騒を少し抜けた路地に、スペイン国旗がゆれている。小さな光る看板には「PasePase」の文字。
扉を開けると、9つのカウンターと4人がけのテーブルがひとつ。
整えすぎない空気が心地よくて、知らない国のリビングに招かれたような気持ちになる。
カウンターの向こうに立つのは、えりさん。狐のみみをつけた姿はちょっと目を引くけれど、声は静かで、所作は丁寧だ。料理と一緒に、店の空気も彼女の手で整えられているようだった。
パエジャが炊けるまで、30分の旅
この店の看板メニューは、もちろん「パエジャ」。スペインを代表する、米料理だ。注文を受けてからひと鍋ずつ米から炊き上げるので、出てくるまでに30分ほどかかる。
でも、その待ち時間すら楽しい。
タパスをつまみながら、グラスを傾けて、鍋の奥から立ち上がる香りを待つ。
パエジャは5種類の定番がある。「海の幸」には、エビ、アサリ、ムール貝、イカ、タコ。たっぷりの具材に、米が埋もれるほどの贅沢さ。
もうひとつ、特別なのが「イカすみ」。スペインを旅した前オーナーが出会い、心をつかまれたという一皿を、えりさんがそのまま引き継いだ。
真っ黒なごはんに、深いコクと塩気。裏メニューとして、知っている人にはアイオリソースを添えてくれる。にんにくの風味とクリーミーな味わいが、イカ墨とよく合う。
「マヨネーズも、実はスペイン料理なんですよ」そんなさりげない一言に、異国の料理が急に身近に感じられるから不思議だ。
距離のある接客が、ちょうどいい
えりさんはあまり多くを語らない。だけど、料理を出すタイミングや目線の運び方に、ちゃんと人への気配りがにじんでいる。
厨房と客席の間には、ふしぎなリズムがある。話す、笑う、待つ、飲む。そのすべてが、えりさんの手の動きと呼応しているようだった。
最初は少し緊張していた他のお客さんも、気づけば自分のペースでくつろいでいた。誰にも干渉されない心地よさ。だけど、まったく放っておかれるわけでもない。
その距離感が、この店の居心地をつくっている。
スペイン料理に導かれ、布施に根を張る
もともとフレンチやイタリアンを学び、料理の道を歩んできたえりさん。その途中で出会ったのが、兵庫県・武庫之荘のスペイン料理店だった。当初はスペインに特別な思い入れがあったわけではなかったけれど、気づけばその素朴で力強い料理に惹かれていた。
独立の場所に選んだのは布施。たまたまのご縁だったと言うけれど、いまではこの町の一角に、しっかりと居場所を築いている。
異国情緒を押しつけるでもなく、日本らしさを無理に消すわけでもないえりさんの料理は、パエジャ鍋の湯気が、少しずつ町に溶け込んでいくように、このに馴染んでいった。
ワインづくりという、次の一歩
えりさんの挑戦は、料理だけにとどまらない。
2025年からはドイツで葡萄の木3本を契約し、自家製ワインの仕込みにも着手した。「自分のワインを作ってみたくて」と、さらりと話すけれど、その裏には確かな決意を感じる。料理と同じように、ワインにも彼女らしさが宿っていくのだろう。
ドリンクメニューには様々な種類が並び、パエジャとの相性を見ながら、ひと口ずつ味わう楽しみも広がっている。炊きたての米、タパスの香り、グラスのなかでゆれる葡萄酒。どれもが、えりさんの日々の積み重ねでできている。
狐のみみ。カウンターで炊きあがる小さなパエジャ鍋。タパスとワインのあいだに流れる静かな時間。それらすべてが、布施のまちにちょっとした異国を添えている。そんなささやかな違和感と心地よさが、この小さな食堂には漂っている。