旅の途中、ふと入ったスーパーが、その土地の“素顔”だったりすることがある。観光地じゃない、日常のどまんなか。東大阪・布施にある「万代布施店」も、まさにそんな場所だ。食品館・酒館・日用品館に分かれたちょっと不思議な構造。だけど、それもこの町の風景にちゃんと馴染んでいる。惣菜の香りに誘われ、鮮魚コーナーで兄ちゃんと喋りこみ、気づけば生活の中に溶け込んでいる自分がいる。ここには、“買い物”以上のものがある。
布施からはじまった物語
看板には、白地に水色で「万代(mandai)」。関西の町なら、どこかで一度は目にしたことがあると思う。でも、そのルーツが東大阪・布施にあると知る人は、案外少ないかもしれない。
はじまりは、1949年。石鹸の製造販売からスタートした「万代油脂工業」。やがて食品へと舵を切り、1966年にこの布施店が生まれた。
時代は変わっても、布施店はどこか昔の空気をまとったまま、町と一緒に呼吸している。外観はきれいに改装されても、残るのは生活に溶け込むような存在感。
きっとこれは、地域に根を張ってきた証。どこか懐かしくて、でもちゃんと“今”を生きている。
「バラバラ」って、悪くない
万代布施店は、少し風変わりなつくりをしている。食品館、酒館、日用品館。三つの建物が、道を挟んで点在している。
「ひとつにまとまっていない」ことが、逆に、この町には合っている。すぐ近くには、今もにぎわう商店街。八百屋、精肉店、金物屋……それぞれが、それぞれの役割を黙々と果たしている。暮らしを部品に分けたような風景。でも、その全体で、ちゃんと“まち”になる。
だから万代も、わざとバラバラのままでいるのかもしれない。三つの館をまたぐたび、売り場の空気が少しずつ変わっていく。それがちょっとした散歩みたいで、意外と楽しい。
魚を選ぶと、会話がはじまる
食品館に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが、鮮魚コーナー。東大阪の鮮魚センターから毎朝届く魚が、氷の上にずらりと並ぶ。
「これ、焼く?煮る?」「塩ふって、グリルでいけるよ」
そんなふうに、売り場の人がふっと声をかけてくれる。注文すれば、その場で捌いてくれるし、料理のコツまで教えてくれる。
ただ魚を“買う”だけじゃない。魚屋みたいな、いや、もう少し近い感じ。やりとりがあるって、なんだか嬉しい。忙しい日のなかに、ふとあたたかさが差し込む。
「今日はもう、作りたくない」日の味方
夕方になると、惣菜コーナーの前に人が集まりはじめる。揚げたてのコロッケ。出汁が効いた玉子焼き。唐揚げは、衣が香ばしくて中はジューシー。どれも、どこかで食べたことがあるような、でもちゃんと「うまい」と思える味。
奈良・斑鳩の惣菜センターから、毎日できたてが届く。
「今日はもう、台所に立ちたくない」そんな日も、ここに来れば、あと一品が見つかる。つい手が伸びてしまうのは、どれも“ちゃんとおいしい”から。気づけば選んでいる。そんな味。
手抜きじゃなく、ちゃんとした“選択肢”としての惣菜。そのスタンスが、なんだか気持ちいい。
暮らしの音がするスーパー
日用品館では、おばちゃんたちが洗剤の成分表示をじっと見比べている。酒館では、おじいちゃんが焼酎の銘柄を前に小さくうなずいている。食品館の入り口では、学校帰りの子どもたちが100円玉を握って、今日のおやつを選んでいる。
この風景は、どこかで見たようで、でもちゃんと「布施のまち」そのものだ。観光地の華やかさはないけれど、ふつうの生活が、静かに息づいている。
「スーパーなんて、どこにでもある」たしかにそうかもしれない。でも、ここにはこの場所にしかない時間の流れがある。
その町を知るには、スーパーを見ればいい
旅先でスーパーに寄るのが、ちょっと好きだ。その土地の人が何を食べて、どんなふうに暮らしているのかが、棚に並んだ商品から透けて見える気がするから。
布施の万代も、そんな場所だった。暮らしのリズムがそのまま流れていて、観光でも特別でもないけれど、心に残る何かがある。
布施のまちを歩いたなら、少しだけ寄り道してみてほしい。三つの館をまたいで、町の空気を吸いながら、今日の夕飯を考えるのも悪くない。
それだけで、なんだかこの町に少しだけ近づけた気がするから。