布施の商店街を歩きながら、私は何度も立ち止まった。「ここ、通ったな」と独り言のようにつぶやく。四十年以上前の風景がじわりと蘇る。平成に入ってから私はこの町にいなかったはずなのに、看板の角度や建物の色、通りの広がりといった細部が、身体の奥にそのまま残っている。記憶はあいまいなくせに、感覚だけは妙に正確だ。
子どもの頃の私は、この町のごく一部しか見えていなかった。自転車で通った書店、商業施設内の楽器屋、あの頃珍しかったファーストフード店。世界は驚くほど狭く、その範囲だけが強く印象に残っている。しかし、その限られた行動範囲の中で、私の人生を決定づける出来事が起きた。私は物心がついたころから、プロのマンガ家になることを夢見ていた。布施に住んでいた叔母の家へ毎週のように通ったのは、彼女の旦那さんがかつてマンガ家を目指していた人だったからだ。夢を諦めて板前の道へ進んでいたものの、押し入れの奥には創作の名残が眠っていた。ある日、「俺が使ってた道具や」と差し出された段ボール箱の中には、インク、墨汁、ペン軸、Gペン、カブラペン、丸ペン、雲型定規、烏口、羽根ぼうき、が入っていた。小学生の私にとって、それは何よりも価値のあるものだった。プロが使う道具を手にした瞬間、自分もその世界に一歩近づいたような気がした。胸の奥が熱くなる感覚を、いまもはっきり覚えている。日曜日になると叔母夫婦の住む布施へ向かい、紙袋いっぱいの漫画雑誌をもらい、描いた原稿を見てもらい、赤を入れてもらった。私にとって最初の師匠はこの町にいた。やがて大学一年生のときにプロデビューを果たし、私はこの街を離れた。布施は単なる懐かしい場所ではない。私の夢を現実へと押し出してくれた場所である。
今回あらためて商店街を歩いてみると、子どものころには気づかなかった店ごとの違いが、次々と目に入ってくる。外観の工夫や看板の出し方、店先の並べ方まで、それぞれに理由があり、独自性がある。「どうしてこうなっているんだろう」と考えながら進むが、すべてを書き留めようとすれば、とてもこの記事には収まらない。商店街全体が、それぞれの店を主人公にした物語の集まりのように感じられる。
歩きながら目的地である銭湯へ向かう。今日の目当ては電気風呂である。

小学校高学年のころ、仲間内で銭湯がちょっとしたブームになった。高度経済成長を経て、どの家庭にも風呂があるのが当たり前になり、銭湯の利用者は減りつつあった時代だ。それでも私たちは、あえて家の風呂ではなく銭湯へ行くことに特別な楽しさを感じていた。湯船につかりながらの話題は、もっぱら学校ではできないような下ネタばかり。体つきが少しずつ大人に近づいていく年頃で、互いの変化を見せ合いながら無邪気に笑っていた。サウナ室にも入ってみたが、ただ蒸し暑いだけで良さは分からなかった。水風呂もあったが、掃除道具を洗う場所だと本気で思っていた。電気風呂も得体の知れない恐怖の対象だった。恐る恐る手を入れると、指先がピリピリと痺れる。常連らしいジイサンが平然と肩まで浸かっているのを見て驚いたものだ。風呂上がりには炭酸飲料を一気に飲み、脱衣所の端に置かれたピンボールに熱中する。
帰り道、自転車をこいでいると、あちこちの家から夕飯の匂いが漂ってくる。窓の明かりや信号機、街灯の光が、いつもよりくっきりと輝いて見えた。あの感覚を、いま思えば、“ととのっていた”ということになるのかもしれない。
それから何十年も経って、私はサウナをテーマにしたマンガを描くことになる。あの頃の銭湯通いの記憶も、いくつか作品の中に描いた。いまでは電気風呂の入り方も知っている。電気風呂は、いきなり手や足先から入ってはいけない。体の先端ほど刺激を強く感じやすいからだ。まずは浴槽に設置された電極板からできるだけ離れた場所に静かに身を沈める。そして背中を丸め、エビのような姿勢で腰からゆっくりと近づいていく。急がず、電気の刺激に体を慣らしながら、少しずつ距離を縮めていくのだ。三分ほどで電気風呂に浸かったら水風呂へ移り、休憩。それを何度か繰り返す。「電冷浴」という入浴法だ。湯上がりにはカラダが軽くなっていることを感じるだろう。電気風呂は敬遠している人が多い。その理由は「入り方を知らないこと」と「常連客向けの設定で敷居が高いこと」にある。実にもったいない。
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