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大倉忠司の「行きつけ」が教えてくれること【大倉忠司さん、布施におかえりなさい!】

大阪府東大阪市永和生まれ。鳥貴族ホールディングス代表取締役社長として、全国に600店舗以上の焼鳥屋を展開してきた大倉忠司さん。
外食産業のトップランナーでありながら、その人柄は驚くほど気さくで、カウンターに座れば隣の人に話しかけ、気づけばその場のお客さんにご馳走している。

そんな大倉さんが、SEKAI HOTEL OsakaFuseの年間10,000人宿泊という節目に、かつて通い詰めた布施の名店を巡りました。

一軒目は、週に一度通った割烹。
二軒目は、妻が見つけてきた隠れ家バー。

全国の名店を知る人が「ここがいい」と選んだ布施の店には、何があるのか。
食のプロの審美眼を通して、このまちの”上質”が見えてきます。

城崎に行かなくなった理由

のれんをくぐると、大将がカウンターの向こうで仕込みをしていた。
割烹いちかわ。大倉さんが「第二の台所」と呼んだ店だ。

「最初は知り合いに連れてきてもらって。美味しかったので、それから通うようになりました。週一ぐらい通ってましたよね。」
週に一度。しかもそれが、全国の店を知り尽くした人の選択だ。

「うちの妻がカニが大好きで、よく越前や城崎方面を、シーズンになると泊まりがけで行ってたんですよ。」

わざわざ日本海側まで足を運んでいたカニ好きの妻が、ある日を境に遠征をやめた。

「ここでカニを食べてから、もう大丈夫と。城崎方面はもう行かなくなりました。」
生きたカニを、到着する直前に茹でてもらう。妻には妻のこだわりがある。

「生温かいぐらいが大好きなんで、僕らが行く少し前に茹でていただいて。捌き方もこだわりがあってね、結構うるさいんですよ、うちの妻。それに全て応えていただいて」

布施の商店街の一角にある割烹が、日本海のカニの名所に勝った。
それは大げさな話ではなく、一組の夫婦の食卓に静かに起きた事実だった。

いい店の条件

大倉さんに、通い続ける店の共通点を聞くと、答えは明快だった。
「もちろん料理が美味しいことが一番ですけど、スタッフの対応、そして提供のスムーズさ。そういった総合の良さが大事ですね」

料理だけではない。接客だけでもない。全部が揃って、初めて「また来たい」になる。

全国を飛び回り、無数の店を見てきた人の基準は、実はシンプルだ。
美味しくて、心地よくて、テンポがいい。それだけのことを、ちゃんとやり切れる店が少ないから、基準になる。

「市川さんは、僕はお世辞ではなく、布施で和食では一番美味しいと思います。」
ほぼ一人で厨房を回しながら、満席でもテキパキと料理が出てくる。私用のワイングラスまでそっと用意してくれる気遣い。スタッフの動きも、見ていて心地いい。

「一度、うちの家に出張シェフで来ていただいたこともあります。妻の母親と弟を呼んで、カニパーティーをしようということで。快く受けていただきました。」
出張先の自宅で、最後は一緒に杯を交わす。店と客の関係を超えた信頼がそこにある。

全国を知る食のプロが、布施の割烹にたどり着き、家族の食卓まで任せている。
それが、この店の答えだ。

自販機の奥の、もうひとつの布施

商店街を抜け、二軒目へ。BAR RACK SPIRITS。
入口は自動販売機に紛れるようにして、知らなければ通り過ぎてしまう。

「なんか入り口もいいでしょ」

アメリカの禁酒法時代、酒を売ってはいけない時代に、隠し扉の奥でバーを営んでいた。
スピークイージーと呼ばれた世界観が、布施の路地に息づいている。

「初めて人を連れてくると、みんなびっくりしてくれます。ニューヨークでそんな店に行ったことがあるんですよ。未だに名残のある店ね。おお、こんな入り口から入っていくの?って」

ニューヨークの記憶と布施が重なる。
こういう店が商店街の裏にあることが、布施の懐の深さだ。

「いい店やなと思いましたよ。布施で、なかなかこういう店はないので。」

実はこの店を見つけたのは、大倉さんではない。
「妻がバーを自分で探してて。何軒か回った中で、一番気に入って。妻に誘われて来たのが最初なんですよ。」

以来、大阪に住んでいた頃は二軒目の定番になった。
カウンターに座り、オールドパーを傾ける。

カウンターで始まること

大倉さんの飲み方には、流儀がある。
「最初は喉乾いてビールで、料理に入ったらワインで、食事が終わった後はウイスキー。基本は僕はウイスキーです。」

こだわりは酒の選び方だけではない。
大倉さんがバーに座ると、自然と周りに会話が生まれる。

「相手の雰囲気にもよりますけど、目が合ったりとか、何かで話が通じそうだったら話しかける方です。私も妻も。初めて出会った人でも、楽しいですよね。いまだに付き合いがある方もいます。」

ある夜、カウンターで若い女性二人組と言葉を交わした。
どこから来たのかと聞けば、SEKAI HOTEL に泊まっていると言う。地方から、布施に。

そういう場面で、大倉さんは黙ってこう動く。
「何も言わんでいいからって。しれっとチェックだけして帰る。」

会計を済ませて、何も告げずに店を出る。あとからマスターが伝える。
「さっきの方がご馳走してくださいました」と。

「喜んでもらうのが好きなんで。自分よりいかにも年下の方やったら奢ることは多いですよね」
見返りは求めない。ただ、目の前の人が喜ぶ顔が見たい。

そのシンプルな動機が、大倉さんの夜の過ごし方をつくっている。

「かっこいい大人」は、たぶんこういうこと

割烹いちかわでは、大将と対等に語り合い、妻のわがままを全力で楽しむ。BARRACKSPIRITSでは、隣に座った見知らぬ人にそっと一杯ご馳走する。

どちらの店でも、大倉さんは「お客様」として振る舞うだけではない。
常連であり、友人であり、時にはその場の空気をつくる人だ。

全国を知る食のプロが、布施の二軒を「行きつけ」と呼ぶ。それは、料理や酒の質だけでは説明できない。カウンター越しの信頼、入口をくぐる時の高揚、隣に座った人との予期せぬ出会い。そのすべてが重なって、「ここがいい」になる。