今、私たちは人類史上初めてと言っていいほど「思考優位」の時代を生きている。四六時中スマホを握りしめ、絶え間なく流れ込む情報の波に意識をさらわれるなかで、身体の生理的な感覚は置き去りにされがちだ。その結果、私たちは本来とても大切なはずの「身体感覚」を、どこか痩せ細らせてしまっているのではないか——。私たちは本来、目に見えない香りや皮膚感覚のようなものを基盤にして世界とつながっている。思考だけでは、人は本当の意味での充足を得ることができないだろう。耳で聞く音楽と、野外フェスの芝生の上で巨大PAから出る音の波を全身で感じる心地よさは、体験としてまるで違ったものだ。生まれたときからデジタルデバイスに慣れ親しんでる今の人なら、より一層、さらに身体的で感覚的な満たされ方を求めていくのではないかとも感じている。
一方で、思考優位に傾ききった人間は、身体的な満足や快楽に鈍感になり、やがて「感じること」ができない心身を作り上げてしまうのではないかという不安もある。私には、その小さな悲鳴のようなものが聞こえる気がする。それは私がマンガ家として、世の中の動きや、まだ形になっていない予感のようなものを感じ取りながら生きてきたからこそ、なおさらそう思うのかもしれないが、最近のサウナやキャンプのブームも、単なる流行ではないのだろうと思っている。過剰な思考から一度離れ、身体の心地よさや刺激を取り戻そうとする、本能的な防衛反応なのではないか。多くの人が、どこかで「何かを治そう」としているのではないかとさえ感じる。
これからは、大規模言語モデルAIやヒューマノイドには代替できない、「身体を持つ人間だからこそできる仕事や楽しみ」が、より価値を持つ時代になるはずだ。電気の痺れに身を委ね、冷たい水に思わず吐息をもらす——そんなシンプルな身体への刺激、「感覚的な満たされ」の中に次の現代を生き抜くための燃料のようなものがあるような気がする。
自分の原点が詰まった布施という場所から、新世代の人類のライフスタイルを問い直し、つぶさに己の表現に昇華させ、形にする知的な試み!そんな高尚な義務感は露ほどももっていない。また楽しく銭湯巡りをしてみたい。
- カテゴリーCATEGORY
- すべて
- コラム
- トピックス
- NEWS・プレスリリース