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「布施は原点だった」【タナカカツキさん/布施におかえりなさい!第2回】

マンガ家の“燃料”をくれた街の話

大阪府東大阪市出身のマンガ家であり、映像作家、そしてサウナ大使としても知られるタナカカツキさん。『バカドリル』のナンセンスギャグで人気を博し、「コップのフチ子」の企画・原案、『マンガ サ道』の著者としても知られるなど、その活動はジャンルを横断してきました。

そんなタナカさんが、SEKAIHOTELOsakaFuseの年間10,000人宿泊という節目に、地元・布施へ帰ってきました。舞台は、まち全体をホテルに見立てた商店街。銭湯の湯気にふれ、店先の声に耳をすませ、路地を歩く。

第2回は、タナカさんのクリエイティブの“原点”に触れていきます。

日曜日、子どもがバスで向かった先

「布施は原点。マンガ家としての燃料をもらった街」

タナカさんは、布施をそう表現しました。

「原点」という言葉だけで片づけると、少しきれいにまとまりすぎる。タナカさんにとっての布施は、ただ懐かしい場所ではありませんでした。

子どもの頃、タナカさんは日曜日になると、バスに乗って布施へ通っていたそうです。叔父さんと叔母さんの家が、布施にありました。終点まで乗っていれば着く。乗り換えもいらない。子どもが一人で行くには、ちょうどいい距離でした。

「日曜日になったら勝手に行っとるから。親も楽やったと思いますよ」

誰かに言われたわけではなく、自分の意思で通い続ける。その先にあったのは、ひとりの大人の存在でした。

最初の“師匠”と手渡された道具

叔母さんの旦那さんになるその人は、当時マンガ家を目指しており、タナカさんをとても可愛がってくれました。

あるとき、タナカさんは彼から漫画の道具一式を譲り受けます。ペン軸、Gペン、丸ペン、鏑ペン、定規、雲型定規、羽根箒、消しゴム。子どもが手にするには本格的すぎる、プロの道具でした。

「どんだけアドレナリンが出たか」

道具をもらったことで、「マンガ家になりたい」という気持ちは少し具体的になった。ペンや定規があれば、真似をするだけでなく、自分でも描ける。子どもにとって、それはかなり大きい。やりたいことは、道具や場所や教えてくれる人がいて、初めて続けられるものになります。

その家に行けば、漫画の描き方を教えてもらえる。自分の描いたものを見てもらえる。読み終えた漫画雑誌を、紙袋いっぱいに分けてもらえる。ずっしりと重たい紙袋を抱えて、またバスに乗って帰る。その往復のなかで、タナカさんの中に、マンガ家としての“燃料”が少しずつ積み重なっていきました。

まちには「始めるための条件」がある

前回、タナカさんは子ども時代を振り返り、「ヒバリヤ書店しか見えてなかった」と語りました。

子どもは世界を広く見渡すことはできません。その代わり、ひとつの場所に深く入り込み、強く記憶を刻みます。

そう考えると、布施はタナカさんにとって、漫画を続けるための環境がそろっていた場所でした。本屋がある。通える距離に親戚の家がある。漫画を見てくれる大人がいる。道具をくれる人がいる。お金をかけた支援ではありません。でも、子どもが何かを始めるには、こういう条件のほうが大きいことがあります。

SEKAIHOTELが布施で目指しているのも、単なる宿泊施設の運営ではありません。まちの中にある人や店との出会いをつくり、訪れた人にとってもう一度通いたくなる場所をつくること。

まちに来た人が、何かを買って帰る。写真を撮って帰る。それも観光のひとつです。でも、もう少し長く残るものもあります。店の人との会話や、歩いた道や、そこで思い出したことが、その後の行動につながることもある。

布施がタナカさんにとってそうだったように、まちは人の中に残ることがあります。

次回:“ここにあるもので遊ぶ”

次回は、タナカさんのもうひとつの言葉から始まります。

「“ここにあるもので遊ぶ”。ルールを作るのが面白かった」

なぜ布施というまちは、遊びの舞台になり得たのか。そして、SEKAIHOTELや商店街は、どのようにして大人の遊び場になり得るのか。まちを体験の装置として、さらに読み解いていきます。